2019-02-01から1ヶ月間の記事一覧

文学批評 「須賀敦子の『アルザスの曲りくねった道』を巡って」

「須賀敦子の『アルザスの曲りくねった道』を巡って」 須賀敦子は、『ミラノ 霧の風景』(一九九〇年)、『コルシア書店の仲間たち』(一九九二年)、『ヴェネツィアの宿』(一九九三年)、『トリエステの坂道』(一九九五年)、『ユルスナールの靴』(一九…

文学批評  「『ヴェネツィアの宿』でひらかれる須賀敦子の小説」

「『ヴェネツィアの宿』でひらかれる須賀敦子の小説」 須賀敦子は、生前五冊の本を出版している。 六十一歳で刊行した『ミラノ 霧の風景』(一九九〇年)からはじまって、『コルシア書店の仲間たち』(一九九二年)、『ヴェネツィアの宿』(一九九三年)、『…

文学批評 「丸谷才一『笹まくら』、橋姫、七夕」

「丸谷才一『笹まくら』、橋姫、七夕」 丸谷才一の長編小説のなかで『笹まくら』(1966年)が最高傑作である、と考える読者はかなりいるのではないだろうか。おそらくその人は、処女長編の『エホバの顔を避けて』(1960年)を著者が習作と呼んでいた…

文学批評 「『万延元年のフットボール』にあらわれた御霊(ごりょう)曾我兄弟」

「『万延元年のフットボール』にあらわれた御霊(ごりょう)曾我兄弟」 <四国の森の兄と弟> 四国の森と谷間を舞台とした大江健三郎の初期小説では、「僕=兄」と「弟」が定型のように現れ、「地形学的(トポグラフィック)な構造」空間のなかで行動をともにす…

文学批評 「辻邦生『夏の砦』の変容と共鳴(レゾナンス)」

「辻邦生『夏の砦』の変容と共鳴(レゾナンス)」 《私が書いた長編小説のなかで最も苦しかったのは、一九六六年河出書房新社の「書き下ろし長編小説」叢書の一つとして刊行された『夏の砦』(文春文庫)である。この作品は前回で紹介させていただいた『廻廊に…

オペラ批評 「モーツァルト・オペラの思想的考察(引用ノート)――カントとサドとモーツァルト」

「モーツァルト・オペラの思想的考察(引用ノート)――カントとサドとモーツァルト」 ・スウェーデンボルグ(一六八八~一七七二)、ヒューム(一七一一~一七七六)、ルソー(一七一二~一七七八)、ディドロ(一七一三~一七八四)、カント(一七二四~一八…

演劇批評 「<象徴界>と<大文字の他者>でみる『義経千本桜』と『伽羅先代萩』」

「<象徴界>と<大文字の他者>でみる『義経千本桜』と『伽羅先代萩』」 谷崎潤一郎は回想録『幼少時代』で、「団十郎、五代目菊五郎、七世団蔵、その他の思い出」という章を設けて歌舞伎経験を語っているが、そのハイライトは明治二十九年に観劇した『義経…

演劇批評 「南北『東海道四谷怪談』と「ライプニッツのバロック」(ノート)」

「南北『東海道四谷怪談』と「ライプニッツのバロック」(ノート)」 鶴屋南北『東海道四谷怪談』には二つのバロックがある。よく知られたヴェルフリン『ルネサンスとバロック』『美術史の基礎概念』やドールス『バロック論』の流れを汲むバロックのそれと、「…

演劇批評 「三島『サド侯爵夫人』のコペルニクス的転回」

「三島『サド侯爵夫人』のコペルニクス的転回」 三島由紀夫の戯曲から代表作を三つあげろと言われれば、大方の人は、『サド侯爵夫人』『わが友ヒットラー』『鹿鳴館』を名指すだろう。人によっては、『近代能楽集』から『綾の鼓』か『卒塔婆小町』か『弱法師…

演劇批評 「おかるの恋と顔世(かおよ)の文(ふみ)(習作)」

「おかるの恋と顔世(かおよ)の文(ふみ)(習作)」 ご存知『仮名手本忠臣蔵』、おかるは二度、顔世(かおよ)の文(ふみ)で恋を焚きつけられた。 一度目は、「三段目 腰元おかる文使いの段」、武蔵守高(こうの)師直(もろなお)あての顔世御前の文を早野勘平(かん…

演劇批評 「『婦系図』ヒロイン菅子の凋落とお蔦の芝居」

「『婦系図』ヒロイン菅子の凋落とお蔦の芝居」 はじめに、『婦系図(おんなけいず)』の作者泉鏡花の『新富座所感』から次の一文を紹介しよう(出典は明治四十一年十一月の「新小説」(『鏡花随筆集』岩波文庫))。 明治四十年一月から四月まで「やまと新…

演劇批評 「近松『女殺油地獄』についての二、三の事柄 ――折口信夫『実川延若賛』/坪内逍遥『近松之研究』/吉本隆明『最後の親鸞』の視点から」

「近松『女殺油地獄』についての二、三の事柄 ――折口信夫『実川延若賛』/坪内逍遥『近松之研究』/吉本隆明『最後の親鸞』の視点から」 近松門左衛門『女殺油地獄』浄瑠璃本から歌舞伎・人形浄瑠璃へ脱落したもの、それは宗教・信仰である。よって『女殺油…

演劇批評 「近松『鑓の権三重帷子』の姦通」

「近松『鑓の権三重帷子』の姦通」 水上勉『近松物語の女たち』は、近松門左衛門の世話浄瑠璃のうち、心中物として「お初―『曾根崎心中』」、「おさん―『心中天の網島』」、「梅川-『冥途の飛脚』」、「お梅―『心中万年草』」を、姦通物として「おさゐ―『鑓…

演劇批評 「面映ゆげなる玉手御前 ――『摂州合邦辻』の恋の闇」

「面映ゆげなる玉手御前 ――『摂州合邦辻』の恋の闇」 昭和二十二年七月の東京劇場。第二部は『鈴ヶ森』、『摂州合邦辻』、『夏祭浪花鑑』。『摂州合邦辻(合邦庵室の場)』の配役は玉手御前(梅玉)、合邦道心(吉右衛門)、俊徳丸(時蔵)、浅香姫(芝翫)…

映画批評 「エリック・ロメールについて(ノート)」

「エリック・ロメールについて(ノート)」 <ロメールとバルト> ロラン・バルトが「ヌーヴェル・オプセルヴァトワール」誌に連載した「クリニック」の中に「ペルスヴァル」という短文がある(1979年3月)。エリック・ロメール監督の映画「聖杯伝説」 …

文学批評 「フーコーと鴎外 ――「知/言説」「権力」「告白」「歴史/狂気」」

「フーコーと鴎外 ――「知/言説」「権力」「告白」「歴史/狂気」」 「フーコーと鴎外」について考えてみたい。 「フーコーにおける鴎外」ではない。フーコーは一九七八年四月に二度目の来日を果たし、一か月近く滞在して講演、対談、インタビュー、精神病院…

文学批評 「鴎外『雁』の涙する視線」

「鴎外『雁』の涙する視線」 <1.1 藍色> 運命は青でひらかれてゆく。森鴎外『雁』のなかで青系の色は肯定的なはじまりの色としてあらわれる。いつでも青の語があらわれるとき、物語を読むものは恋のはじまりの予感を抱く。まず紺からはじめよう。 《紺…

文学批評 「漱石『それから』の目覚め(読書ノート)」

「漱石『それから』の目覚め(読書ノート)」 夏目漱石『それから』は、主人公代助の視点と内面を基調に書かれた小説であるのは間違いのないところだが、三千代という存在をどうとらえるかで様相は大きく変って来る。 三千代は魅力のない女だという意見を見…

文学批評 「中村真一郎『恋の泉』の「形而上的感覚」」

「中村真一郎『恋の泉』の「形而上的感覚」」 中村真一郎は中長編小説『恋の泉』(一九六二年(昭和三七年)三月)発表と同時期、文芸誌「文学界」の一九六一年九月号から一九六二年十月号までの十四回にわたって、『文学の擁護』という、彼にしては珍しく時…

文学批評 「谷崎『鍵』の「欲望の欲望」」

「谷崎『鍵』の「欲望の欲望」」 谷崎潤一郎の、いわゆる「晩年三部作」は『鍵』、『瘋癲老人日記』、『夢の浮橋』を指す。第一作『鍵』は、数え年七十一歳になる谷崎が、昭和三十一年(1956年)の『中央公論』一月号および、五月号から十二月号に発表し…

文学批評 「谷崎『春琴抄』、官能の官能」

「谷崎『春琴抄』、官能の官能」 谷崎潤一郎『春琴抄』では、鶯(うぐいす)、雲雀(ひばり)の啼く春、幻想が欲望を支え、見ることと見られることの愛撫のうちに、官能の官能が語られる。 <鶯(うぐいす)の凍(こお)れる涙(なみだ)> 雪のうちに春はきにけりうぐ…

文学批評 「谷崎『細雪』の畳紙(たとう)の紐を解く」

「谷崎『細雪』の畳紙(たとう)の紐を解く」 『細雪』を読むとは、畳紙(たとう)を紐(ひも)解いて、谷崎文学のすべてを目の前に繰りひろげることである。谷崎は美しい蒔岡姉妹の囀りのような会話を、俗っぽい間投詞まで聴きとろうと耳をそばだて、女たちの口唇…

文学批評 「谷崎『卍』とサド」

「谷崎『卍』とサド」 たしかに、谷崎潤一郎『卍』は批評しにくい小説である。 たとえば、《『卍』は論じにくい小説であり、一種ぬめぬめした、まつわりついて来るような魅力にもかかわらず、これまでまともな論評を受けたことがほとんどなかった》(佐伯彰…

文学批評 「細君下戸ならず、談話頗興あり――谷崎、荷風、羈旅の交わり」

「細君下戸ならず、談話頗興あり――谷崎、荷風、羈旅の交わり」 谷崎潤一郎『都わすれの記』は、昭和十九年春、《住み馴れし阪神の地を振り捨てゝ》、昭和二十一年五月に家人らを京都へ呼び寄せるまでの、熱海、ついで岡山県の津山、勝山への疎開体験をつづっ…

文学批評 「かの子バロック」

「かの子バロック」 岡本かの子の短編小説『金魚撩乱』(昭和十二年)にこんな文章がある。 《当の真佐子は別にじくじく一つ事を考えているらしくもなくて、それでいて外界の刺激に対して、極(きわ)めて遅い反応を示した。復一の家へ小さいバケツを提げて一人…

文学批評 「見ることと触れること  ――白秋『桐の花』から『熱ばむ菊』へ」

「見ることと触れること ――白秋『桐の花』から『熱ばむ菊』へ」 二一世紀に入って祇園圓山公園の枝垂桜はいよいよ魂を奪う姿でそこに在る。たっぷりと花房をつけ鏡獅子のように重く揺らぐ桜ならば京洛にいくらでもあるだろう。けれども祇園の枝垂桜は他にか…

文学批評 「大岡昇平『黒髪』から溢れだすもの」

「大岡昇平『黒髪』から溢れだすもの」 《久子が南禅寺裏のその家に移ったのは、終戦後二年目の秋であった。戦争中ずっと世話になっていた或る政治評論家が、追放に引っかかった。前から自分が重荷なのはわかっていたことだった。別れてあげたいと思っていた…

文学批評 「三島由紀夫『暁の寺』論(試論) ―― 覚めつ夢みつ」

「三島由紀夫『暁の寺』論(試論) ―― 覚めつ夢みつ」 三島由紀夫『豊饒の海』、その第三巻『暁の寺』は二部構成形式がとられている。全四巻のうち、第三巻だけがそのような形式であり、第二巻と第三巻のあいだで物語を転ずればよさそうなものを、あえてこの…

文学批評 「三島由紀夫『春の雪』――不可能な恋」

「三島由紀夫『春の雪』――不可能な恋」 ハードカバーの金色の帯に白抜きで「現代に甦る比類ない恋愛小説!」とある。「古典と近代の精髄を結集して、恋愛の本質を悲劇的な高みで、優雅・冷徹に描き出した三島文学の集大成!」とつづく。 しかし、『春の雪』…

文学批評 「三島由紀夫『愛の渇き』論 ――歌右衛門の手/ラシーヌの光」

「三島由紀夫『愛の渇き』論 ――歌右衛門の手/ラシーヌの光」 三島由紀夫『愛の渇き』は園丁の三郎を鍬で殺した悦子が、深い眠りから目をさましたところで終る。 《きこえるのは遠い鶏(にわとり)の鳴(なき)音(ね)である。まだ夜明けには程とおいこの時刻を、…