文学批評 吉田修一『悪人』論 ――ドストエフスキー『罪と罰』から欠落したもの

吉田修一『悪人』に、ドストエフスキー『罪と罰』の殺人場面の象徴である斜めからの夕日の光を照らす。と、そこには車のライトに照らし出された峠の絞殺と、パトカーの赤いライトに照らし出された灯台の未遂現場しかない。 両者の差異を見ることで、『悪人』…

文学批評 二人の万菊 ――吉田修一『国宝』と三島由紀夫『女方』

三島由紀夫『女方』(昭和22年、1957年)と吉田修一『国宝』(平成30年、2018年)は歌舞伎の世界を描いた小説で、前者は短篇、後者は長編であり、どちらにも主役、脇役の違いこそあれ、名女形の「万菊(まんぎく)」が登場する。前者の万菊の芸名…

文学批評 ボルヘスを斜めから読むための補助線 ――『タデオ・イシドロ・クルスの生涯(一八二九~一八七四)』/『エンマ・ツンツ』/『もうひとつの死』 

・ミュージカル『エヴィータ』の人気に、実在のエヴィータ(エバ)のカリスマ性、神話性が寄与していることは否めないだろう。丸谷才一はエッセイ『私怨の晴らし方』で、『まねごと』におけるボルヘスの完璧な私怨の晴らし方を紹介してから、比較して鷗外『…

文学批評 『花柳小説名作選』を読む(3) ――舟橋聖一『堀江まきの破壊』

<舟橋聖一『堀江まきの破壊』> 《追ひ追ひに、ものが復興してくる中に、却て、昔より一歩乃至(ないし)数歩をすゝめたと思はれるものもあれば、どうしても、昔のものに及び難い、どこかで、今一つ、気が足りないといふものもある。これは、作る側で、工夫が…

文学批評 『花柳小説名作選』を読む(2)――徳田秋声『戦時風景』

<徳田秋声『戦時風景』> 《或る印刷工場迹の千何百坪かの赭土の原ツぱ――長いあひだ重い印刷機やモオタアの下敷になつていたお蔭で、一茎の草だも生えてゐない其のぼかぼかした赭い粉土(こなつち)は、昼間は南の風に煽られ、濠々と一丈ばかりも舞ひあがつて…

文学批評 『花柳小説名作選』を読む(1) ――永井荷風『あぢさゐ』

『花柳小説名作選』(丸谷才一選。以下『名作選』と略す)から永井荷風『あぢさゐ』、徳田秋声『戦時風景』、舟橋聖一『堀江まきの破壊』の三作品を読む。 荷風は別格として、徳田秋声、舟橋聖一の二人はかつて大家でありながら今ではほとんど忘れられている…

文学批評 加賀乙彦『フランドルの冬』の「精神医学」と「世界投企」(引用ノート)

加賀乙彦の「『フランドルの冬』 新しいあとがき」は次のようにはじまる。 《長編小説『フランドルの冬』は私の処女作である。一九六七年八月筑摩書房から出版された。翌六八年四月芸術選奨文部大臣新人賞を受賞した。一九七四年に文庫化され、その後十年ほ…

文学批評/オペラ批評 『マクベス』と『ムツェンスク郡のマクベス夫人』の「二枚舌」(資料メモ) 

群 シェイクスピア『マクベス』は「二枚舌」の観点から読み解くことが出来る(残念ながら、ヴェルディによるオペラ『マクベス』には「二枚舌」の台詞で有名な「門番」の場面はないが、「二枚舌」はなにも門番の場面ばかりではなく、意味的には、「魔女」の言…

文学批評/オペラ批評 『ボヴァリー夫人』と『ランメルモールのリュシー』(ノート)

』ーと はじめに、水村美苗『本格小説』の「ルチア」を紹介したい。 軽井沢でのハイ・ティーの晩に照り渡る月の光を白い服に集めて、マリア・カラスの好きな春絵に嫌みを言われながら、よう子は歌を歌ったことがあった。それは「桜の園」の章で、雅之の父雅…

オペラ批評 プッチーニ『トスカ』に関するノート

一九〇〇年にプッチーニのオペラ『トスカ Tosca』がローマで初演されるや、ワーグナー崇拝が濃い北ヨーロッパの評論家、音楽家たちはこぞって批難した。グスタフ・マーラーの「巨匠の駄作」、リヒャルト・シュトラウスの「たちの悪い札つきの低俗作品」、ユ…

小説  文楽の男の手

「文楽の男の手」 文楽の男の手を知っていますか。 五月の東京三宅坂、国立劇場でのことです。若草色の市松単衣を着た私は楽屋を横目で見ながら狭い廊下を進みました。先を歩いていた知人の人形遣いは、女の人形をひょいと手に取るとすたすたと舞台袖に向か…

文学批評 里見弴の花柳小説を丸谷才一と読む   ――『いろをとこ』『河豚』『妻を買う経験』

里見弴の花柳小説を丸谷才一と読む ――『いろをとこ』『河豚』『妻を買う経験』 『丸谷才一編・花柳小説傑作選』(以下、『傑作選』)(講談社文芸文庫、平成二十五年=二〇一三年)は、編者丸谷才一の急逝によって生前の出版を見なかった。同じく丸谷による…

映画批評 溝口健二『近松物語』論ノート

映画批評 溝口健二『近松物語』論ノート <「『近松物語』の物語」> ・溝口健二監督『近松物語』(1954)の脚本家、依田義賢の『依田義賢 人とシナリオ』「シナリオ 近松物語」は、溝口健二(1898~1956)の人間的な気性、理不尽さと、監督が求…

映画批評 成瀬巳喜男『浮雲』論 ――デュラス/林芙美子/成瀬巳喜男

成瀬巳喜男『浮雲』論 ――デュラス/林芙美子/成瀬巳喜男 《この作品は、ある時代の私の現象でもあるのだ。よいものか、悪いものかは、読者がきめてくれるものであろうが、私は、この**のあと、非常に疲れた。めまぐるしく私の周囲の速度は早い。こんな地…

映画批評 小津安二郎『彼岸花』論

小津安二郎『彼岸花』論 <里見弴/小津安二郎> 映画『彼岸花』に白と赤の文字で「原作里見弴」と流れる。だが一緒に湯ヶ原に泊り込んで、テーマと人物設定を共通項に小津と相棒野田高梧が脚本を、里見が小説を書きあげたという。『文藝春秋』昭和三十三年…

文学批評/映画批評 カズオ・イシグロ『日の名残り』論

・ カズオ・イシグロ『日の名残り』論 [序 サルマン・ラシュディの『日の名残り』書評] サルマン・ラシュディによるカズオ・イシグロ『日の名残り』の書評は、丸谷才一編著『ロンドンで本を読む 最高の書評による読書案内』の「執事が見なかったもの」とい…

演劇批評 渡辺保『歌舞伎 過剰なる記号の森』「物語 歴史の再生」に関するノート ――「実盛物語」の「未来による遡及的再構成」

渡辺保『歌舞伎 過剰なる記号の森』「物語 歴史の再生」に関するノート ――「実盛物語」の「未来による遡及的再構成」 <渡辺保『歌舞伎 過剰なる記号の森』「物語 歴史の再生」から> 《「源平布引滝(げんぺいぬのびきのたき)」の俗に「実盛(さねもり)物語」…

文学批評 「須賀敦子の『アルザスの曲りくねった道』を巡って」

「須賀敦子の『アルザスの曲りくねった道』を巡って」 須賀敦子は、『ミラノ 霧の風景』(一九九〇年)、『コルシア書店の仲間たち』(一九九二年)、『ヴェネツィアの宿』(一九九三年)、『トリエステの坂道』(一九九五年)、『ユルスナールの靴』(一九…

文学批評  「『ヴェネツィアの宿』でひらかれる須賀敦子の小説」

「『ヴェネツィアの宿』でひらかれる須賀敦子の小説」 須賀敦子は、生前五冊の本を出版している。 六十一歳で刊行した『ミラノ 霧の風景』(一九九〇年)からはじまって、『コルシア書店の仲間たち』(一九九二年)、『ヴェネツィアの宿』(一九九三年)、『…

文学批評 「丸谷才一『笹まくら』、橋姫、七夕」

「丸谷才一『笹まくら』、橋姫、七夕」 丸谷才一の長編小説のなかで『笹まくら』(1966年)が最高傑作である、と考える読者はかなりいるのではないだろうか。おそらくその人は、処女長編の『エホバの顔を避けて』(1960年)を著者が習作と呼んでいた…

文学批評 「『万延元年のフットボール』にあらわれた御霊(ごりょう)曾我兄弟」

「『万延元年のフットボール』にあらわれた御霊(ごりょう)曾我兄弟」 <四国の森の兄と弟> 四国の森と谷間を舞台とした大江健三郎の初期小説では、「僕=兄」と「弟」が定型のように現れ、「地形学的(トポグラフィック)な構造」空間のなかで行動をともにす…

文学批評 「辻邦生『夏の砦』の変容と共鳴(レゾナンス)」

「辻邦生『夏の砦』の変容と共鳴(レゾナンス)」 《私が書いた長編小説のなかで最も苦しかったのは、一九六六年河出書房新社の「書き下ろし長編小説」叢書の一つとして刊行された『夏の砦』(文春文庫)である。この作品は前回で紹介させていただいた『廻廊に…

オペラ批評 「モーツァルト・オペラの思想的考察(引用ノート)――カントとサドとモーツァルト」

「モーツァルト・オペラの思想的考察(引用ノート)――カントとサドとモーツァルト」 ・スウェーデンボルグ(一六八八~一七七二)、ヒューム(一七一一~一七七六)、ルソー(一七一二~一七七八)、ディドロ(一七一三~一七八四)、カント(一七二四~一八…

演劇批評 「<象徴界>と<大文字の他者>でみる『義経千本桜』と『伽羅先代萩』」

「<象徴界>と<大文字の他者>でみる『義経千本桜』と『伽羅先代萩』」 谷崎潤一郎は回想録『幼少時代』で、「団十郎、五代目菊五郎、七世団蔵、その他の思い出」という章を設けて歌舞伎経験を語っているが、そのハイライトは明治二十九年に観劇した『義経…

演劇批評 「南北『東海道四谷怪談』と「ライプニッツのバロック」(ノート)」

「南北『東海道四谷怪談』と「ライプニッツのバロック」(ノート)」 鶴屋南北『東海道四谷怪談』には二つのバロックがある。よく知られたヴェルフリン『ルネサンスとバロック』『美術史の基礎概念』やドールス『バロック論』の流れを汲むバロックのそれと、「…

演劇批評 「三島『サド侯爵夫人』のコペルニクス的転回」

「三島『サド侯爵夫人』のコペルニクス的転回」 三島由紀夫の戯曲から代表作を三つあげろと言われれば、大方の人は、『サド侯爵夫人』『わが友ヒットラー』『鹿鳴館』を名指すだろう。人によっては、『近代能楽集』から『綾の鼓』か『卒塔婆小町』か『弱法師…

演劇批評 「おかるの恋と顔世(かおよ)の文(ふみ)(習作)」

「おかるの恋と顔世(かおよ)の文(ふみ)(習作)」 ご存知『仮名手本忠臣蔵』、おかるは二度、顔世(かおよ)の文(ふみ)で恋を焚きつけられた。 一度目は、「三段目 腰元おかる文使いの段」、武蔵守高(こうの)師直(もろなお)あての顔世御前の文を早野勘平(かん…

演劇批評 「『婦系図』ヒロイン菅子の凋落とお蔦の芝居」

「『婦系図』ヒロイン菅子の凋落とお蔦の芝居」 はじめに、『婦系図(おんなけいず)』の作者泉鏡花の『新富座所感』から次の一文を紹介しよう(出典は明治四十一年十一月の「新小説」(『鏡花随筆集』岩波文庫))。 明治四十年一月から四月まで「やまと新…

演劇批評 「近松『女殺油地獄』についての二、三の事柄 ――折口信夫『実川延若賛』/坪内逍遥『近松之研究』/吉本隆明『最後の親鸞』の視点から」

「近松『女殺油地獄』についての二、三の事柄 ――折口信夫『実川延若賛』/坪内逍遥『近松之研究』/吉本隆明『最後の親鸞』の視点から」 近松門左衛門『女殺油地獄』浄瑠璃本から歌舞伎・人形浄瑠璃へ脱落したもの、それは宗教・信仰である。よって『女殺油…

演劇批評 「近松『鑓の権三重帷子』の姦通」

「近松『鑓の権三重帷子』の姦通」 水上勉『近松物語の女たち』は、近松門左衛門の世話浄瑠璃のうち、心中物として「お初―『曾根崎心中』」、「おさん―『心中天の網島』」、「梅川-『冥途の飛脚』」、「お梅―『心中万年草』」を、姦通物として「おさゐ―『鑓…