2019-01-01から1年間の記事一覧

文学批評 「かの子バロック」

「かの子バロック」 岡本かの子の短編小説『金魚撩乱』(昭和十二年)にこんな文章がある。 《当の真佐子は別にじくじく一つ事を考えているらしくもなくて、それでいて外界の刺激に対して、極(きわ)めて遅い反応を示した。復一の家へ小さいバケツを提げて一人…

文学批評 「見ることと触れること  ――白秋『桐の花』から『熱ばむ菊』へ」

「見ることと触れること ――白秋『桐の花』から『熱ばむ菊』へ」 二一世紀に入って祇園圓山公園の枝垂桜はいよいよ魂を奪う姿でそこに在る。たっぷりと花房をつけ鏡獅子のように重く揺らぐ桜ならば京洛にいくらでもあるだろう。けれども祇園の枝垂桜は他にか…

文学批評 「大岡昇平『黒髪』から溢れだすもの」

「大岡昇平『黒髪』から溢れだすもの」 《久子が南禅寺裏のその家に移ったのは、終戦後二年目の秋であった。戦争中ずっと世話になっていた或る政治評論家が、追放に引っかかった。前から自分が重荷なのはわかっていたことだった。別れてあげたいと思っていた…

文学批評 「三島由紀夫『暁の寺』論(試論) ―― 覚めつ夢みつ」

「三島由紀夫『暁の寺』論(試論) ―― 覚めつ夢みつ」 三島由紀夫『豊饒の海』、その第三巻『暁の寺』は二部構成形式がとられている。全四巻のうち、第三巻だけがそのような形式であり、第二巻と第三巻のあいだで物語を転ずればよさそうなものを、あえてこの…

文学批評 「三島由紀夫『春の雪』――不可能な恋」

「三島由紀夫『春の雪』――不可能な恋」 ハードカバーの金色の帯に白抜きで「現代に甦る比類ない恋愛小説!」とある。「古典と近代の精髄を結集して、恋愛の本質を悲劇的な高みで、優雅・冷徹に描き出した三島文学の集大成!」とつづく。 しかし、『春の雪』…

文学批評 「三島由紀夫『愛の渇き』論 ――歌右衛門の手/ラシーヌの光」

「三島由紀夫『愛の渇き』論 ――歌右衛門の手/ラシーヌの光」 三島由紀夫『愛の渇き』は園丁の三郎を鍬で殺した悦子が、深い眠りから目をさましたところで終る。 《きこえるのは遠い鶏(にわとり)の鳴(なき)音(ね)である。まだ夜明けには程とおいこの時刻を、…

文学批評 「三島由紀夫『女方』の「幻滅と嫉妬と破滅」」

「三島由紀夫『女方』の「幻滅と嫉妬と破滅」」 《雪はコンクリートの暗い塀を背に、見えるか見えぬかといふほどふつてゐて、二三の雪片が樂屋口の三和土(たたき)の上に舞つた。 「それぢやあ」と万菊は増山に會釋をした。微笑してゐる口もとが仄かに襟巻の…

文学批評 「三島由紀夫『金閣寺』の声、顔、乳房」

「三島由紀夫『金閣寺』の声、顔、乳房」 まるで花道(はなみち)七三(しちさん)のスッポンからせり出してくるように、三島由紀夫『金閣寺』を三分(さんぶ)ほど読み進めたところで、柏木という男が登場する。内飜足(ないほんそく)の片足ごと、ぬかるみからよう…

文学批評 「一葉『にごりえ』の多声(ポリフォニー)と永遠の秘密」

「一葉『にごりえ』の多声(ポリフォニー)と永遠の秘密」 樋口一葉『にごりえ』は幾たびも読みかえしうる傑作であることは間違いないが、「読めば読むほどわからなくなる」(井上ひさし『樋口一葉に聞く』文春文庫)というのも正直な感想だろう。 まずはいち…

文学批評 「『いとしい』くちびる ――川上弘美の口唇論」

「『いとしい』くちびる ――川上弘美の口唇論」 川上弘美に誘われて散歩に出る。本の川原に行くのである。 唇が震える音が聞こえてくる。「ふくふく」「ぼわぼわ」、甘い匂いがしてきて、何か食べたくなり、とりとめもなく幸せな気分になって、わけもなく接吻…

文学批評 「きものの悦び」(ノート)

「きものの悦び」(ノート) (1)からだ ―――『きもの』幸田文 ―――『序の舞』宮尾登美子 ―――『真砂屋お峰』有吉佐和子 ―――『女坂』円地文子 視覚と観念できものを語った三島の装飾美の対極にあるのが、きものを愛する女性作家たちの小説だろう。彼女たちの…

文学批評 「藤原審爾『秋津温泉』――白と紅の濡れた時間」

「藤原審爾『秋津温泉』――白と紅の濡れた時間」 <レジメ> 二つの秋津温泉がある。藤原審爾の小説『秋津温泉』と吉田喜重監督の映画『秋津温泉』だ。両作品に共通するのは美しい風景とたまゆらの時間ではないか。 秋津温泉は岡山県の津山から山あいにわけ行…

文学批評 「中上健次『枯木灘』の果てしなき「反復」」

「中上健次『枯木灘』の果てしなき「反復」」 中上健次『枯木灘』を読む者は、否が応でも冒頭から、「~った」「~った」「~だった」「~だった」と連続する文章に接して、酷い文体だ、なんたる悪文か、という思いに襲われずにはいられない。 《空はまだ明…

文学批評 「山田詠美『風味絶佳』味読」

「山田詠美『風味絶佳』味読」 山田詠美はメルロ=ポンティに似たところがある。そう言ったら怪訝な顔をされるだろうか。早すぎた晩年に『見えるものと見えないもの』を残したメルロ=ポンティに、《人間のかもし出すそれ》を《体のすべての器官を使って、そ…

文学批評 「幸田文『崩れ』から青木奈緒『動くとき、動くもの』へ」

「幸田文『崩れ』から青木奈緒『動くとき、動くもの』へ」 『崩れ』幸田文 幸田文『崩れ』のはじめの一節は、なんととぎれとぎれだろう。 《ことし五月、静岡県と山梨県の境にある、安部峠へ行った。これは県庁の自然保護課で、ふとした雑談のうちに、その峠…

文学批評 「水上勉『雁の寺』『五番町夕霧楼』『越前竹人形』を吉田健一と読む」

「水上勉『雁の寺』『五番町夕霧楼』『越前竹人形』を吉田健一と読む」 「英国三部作」(『英国の文学』『シェイクスピア』『英国の近代文学』)などの批評、『時間』『変化』といった形而上学的でもある散文、洒脱な随筆、『金沢』『東京の昔』をはじめとし…

文学批評 「田辺聖子の三部作『言い寄る』『私的生活』『苺をつぶしながら』」

「田辺聖子の三部作『言い寄る』『私的生活』『苺をつぶしながら』」 『田辺聖子全集』全24巻から、どれか3巻を選んでみようとしても迷うばかりだ。それほどに田辺文学は広がりと多様性に満ちているのだが、田辺文学、とりわけ小説への批評性の貧困、欠如…

文学批評 「吉田健一『英国の近代文学』からの賜物」

「吉田健一『英国の近代文学』からの賜物」 吉田健一の「英国三部作」は順に、『英国の文学』『シェイクスピア』『英国の近代文学』からなるが、成立時期はそれぞれが複雑な時間を持つ。まだ商業的な成功を得ていなかったことから、どれも書き下ろし単行本で…

文学批評 「向田邦子の『思い出トランプ』」

「向田邦子の『思い出トランプ』」 向田邦子は無類の猫好きだった。早すぎた晩年のポートレートはいつも猫と一緒だ。けれども、向田はドラマや小説に犬は登場させても、猫はまずなかった。さすがに2、3のエッセイには、たとえば『猫自慢』というようなあま…

文学批評 「G・グリーン『情事の終り』の終らない情事(ノート)」

「G・グリーン『情事の終り』の終らない情事(ノート)」 ロラン・バルトは『恋愛のディスクール・断章』の「この書物はどのように作られているか」で、《すべては次のような原則から出発している。恋するものを単なる症候主体に還元するのではなく、むしろ…

文学批評 「瀬戸内寂聴『場所』 ――感じられる場所を求めて」 

「瀬戸内寂聴『場所』 ――感じられる場所を求めて」 瀬戸内寂聴は少なくとも二度、自伝的作品を書いている。 最初は五十一歳で出家する前の四十代半ば過ぎに瀬戸内晴美の名で『いずこより』を書いた。二度目は七十七歳にして、舞台となった土地を五十年余りか…

文学批評 「遠藤周作『沈黙』はわかりやすいのか ――『沈黙』は三度終らない」

「遠藤周作『沈黙』はわかりやすいのか ――『沈黙』は三度終らない」 十七世紀中頃、ユダヤ教を破門されたスピノザは『神学・政治論――聖書の批判と言論の自由』に、《これから、われわれは何びとをもその人の行為にしたがってでなくては信仰者あるいは不信者…

文学批評 「宇野千代『おはん』の歓びの声」

「宇野千代『おはん』の歓びの声」 鷲田清一に『「聴く」ことの力――臨床哲学試論』という本がある。ターミナル・ケアの現場で、「もうだめなのではないでしょうか?」という患者の言葉に対して、励ますこと、なぜと聞き返すこと、同情を示すことではなく、患…

文学批評 水村美苗『本格小説』の「誘惑と拒絶」――虚構の世界の優位性

水村美苗の『本格小説』は、ニューヨーク郊外で東(あずま)太郎の成功(サクセス)を眼のあたりにした「水村美苗」という作者と同名の登場人物が、その男の半生に関する「小説のような話」を若い元文芸誌編集者の加藤祐介から、カリフォルニアで雨夜に聞く(そ…

文学批評 「ナボコフ『ロシア文学講義』による『アンナ・カレーニナ』と『或る女』」

「ナボコフ『ロシア文学講義』による『アンナ・カレーニナ』と『或る女』」 横浜桜木町の紅葉坂(もみじざか)を能楽堂へと上るとき、有島武郎『或る女』(明治44年(1911年)から大正2年(1913年)にかけて雑誌「白樺(しらかば)」に『或る女のグリ…

文学批評 「川端康成『雪国』の死と官能」

「川端康成『雪国』の死と官能」 川端康成はそれと語らないことで語る。 『雪国』といえば、誰もがまず左手の人差指のエビソードを思い浮かべるが、作品のなかには《この指だけは女の触感で今も濡(ぬ)れていて》の具体となる愛撫の場面はもちろんのこと、な…

文学批評 「古井由吉『槿』の花散らす天使」

「古井由吉『槿』の花散らす天使」 講談社文芸文庫に『槿』が収められるにあたって古井由吉は、「著者から読者へ 朝顔に導かれて」という短文を「あとがき」のように添えた。「槿(あさがお)」という表題にした理由や、主人公が四十を越したばかりの端境(はざ…

文学批評 「見果てぬ夢としての荷風『腕くらべ』」

「見果てぬ夢としての『腕くらべ』」 小説『腕くらべ』は、『濹東綺譚』や『断腸亭日乗』に比べて冷遇されている。荷風を読む悦びが『断腸亭日乗』、『日和下駄』といった日記、随筆により多くあることを否む気はないものの、『腕くらべ』の二十二章は、荷風…

子兎と一角獣のタピストリ(19)“Caress the details,the divined details!”

“Caress the details,the divined details!” r音を転がす、ざらざらした猫の舌の愛撫みたいなナボコフの声。「私たちはロシア散文の巨匠たちに次のような順位をつけることができる。一番、トルストイ、二番、ゴーゴリ、三番、チェーホフ、四番、ツルゲーネフ…

子兎と一角獣のタピストリ(18)「雪のうちに春はきにけり」

「雪のうちに春はきにけり」 チューリップで有名な北国から手紙が届いた。里に帰って心のリハビリをしています、中国語の勉強をはじめました、わたし『夜来香(イエライシャン)』を歌えるの。 一九四〇年ごろ大陸で李香蘭が歌った『夜来香』。 ♪那南風吹来…